伊勢大神楽とは

 伊勢大神楽とは江戸時代、伊勢神宮に参りたくても、参れない人々のために、壇那場各戸に伊勢神宮の御札を配って、各家々の竃祓いや家内安全のお祓いを行い、獅子舞を舞うのが、伊勢大神楽の芸能の総称です。

起源は古く、飛鳥まで遡る

 舞の起源は古く、飛鳥時代にまでさかのぼります。壬申の乱(672)の折、桑名(現在の和歌山県桑名市)に渡来した大海人皇子「後の天武天皇」を村人が獅子舞でお慰めしたことに始まる、と伝えています。

室町時代になりますと、伊勢神宮の内宮・外宮では伊勢信仰の広布と参宮勧誘に当たる御師たちの諸国歴訪が活発化し、大神楽の人たちも御師の配下で神札配りの回国を行うようになった、とされています。

伊勢大神楽は回国に際して、獅子頭を天照皇大神のシンボルとあがめ、悪魔払いの舞を人々の前に披露したことにはじまります。

『歴史街道〜朝日新聞の司馬遼太郎が語る日本』の中で著者の司馬氏は「伊勢大神楽集団は、電器店や新聞の販売店のようなもので、お伊勢さんの宣伝マン」と記しています。その後「放下芸」と呼ばれる曲芸の演目を数多く余興芸に加えて、宗教集団から宗教芸能集団へと、大きな飛躍を遂げていきました。

そのた明治維新後、伊勢神宮の御師制度が解体、消滅した後も伊勢大神楽の地盤は揺るがず、回国巡業はおよそ600年に亘って継承され、現在も各地で活発に展開されています。

渋谷章社中は宗教法人として認証され、今日へ

 渋谷章社中は、石川宗太夫社中の家元を継承して、伝統の「門付け布教」を一年365日、2府5県で行っています。平成15年10月2日、大阪府庁より宗教法人「神道伊勢大神楽教」として認証され今日に至っています。(家元記)

昭和10代石川宗太夫社中